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一日遅れてしまいましたが

2008年08月10日 03:45

昨日は長崎に人類史上二番目となる、「人為的に核の炎が人を焼いた」日です。

核の痛みを知り、その痛みを声高に叫び続ける使命を負った我々の声は、十分でしょうか。
十分に届いているのでしょうか。

ところで最近になって水面上にちょぼちょぼ頭を出している、アメリカ国内での核兵器削減論。
現在最も多くの核兵器を保有する国でこういう論争が明るみに出始めるというのは実にいい事。(まあ管理体制が緩んできてるとか、核テロが怖いとか、そういった事情があるようですが)
ぜひともアメリカが率先して放棄してもらいたいものです。
と、言うよりむしろする"べき"です。
たとえ「戦争の早期終結により多くの命を救った」という理由で正当化したところで、使ったことには変わりはないですしね。
(同様に、よりスケールを小さくして、「より多くの人を救うために、私はこの爆弾で大勢の人を殺しました。結果的にそれ以上の人々が救われたのだから、別にいいじゃありませんか」と言った所で、それは当然逮捕される。)
それは本来存在から否定されなければならないものを使ったアメリカの義務であり責任であるからです。
ただ、某北の国やどこぞのお祭りに浮かれきってる国とかが捨てるかと言えば、現状ではまず間違いなく否だろうから、難しい話ではあるでしょうけれど。
彼らも同時に捨てないことには何の意味も無いですしねえ……

ですがそれでも、痛みを知り、それを切望してきた日本にとっても絶好の流れであると思います。
このままぜひとも活かしていくべきでしょう。
そしてこの機会に私達は改めて知るべきであると、私は思います。

>日本はアメリカの核の傘によって守られている
どうでしょう?
確かに正しいですが、核兵器は使えばその国もただでは済まない。
そういった意味では脅し以上には使えない。
どうせ使えないのなら、無くてもいいんじゃない?
まあそんな単純な話ではないのはわかってはいますが、そういう考え方もありだと思います。


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